親をコテンパンに言い負かしている場面を繰り返し想像(シュミレーション)した時期がありました。
棺桶送りするくらい相手をやっつけて、それでようやく長年の穴ぼこが塞がる・・・といった薄暗い動機付けです。
「遠くから愛を送る」「想いの底で和解する」と思いながら、しばしシュミレーションの嵐が吹く。
悟る必要があるのは、親からされてイヤだった事を自分もするエネルギーがあるという事。
運動部の下級生だった頃は「こんな民主的でない在り方、絶対変えてやる」と発言しながら、いざ自分が上級生になるとまったく同じ事をしている‥に似ています。
子供時代とってもイヤだった、正論で(他者を)虐待する力が自分にもある。
そこをデトックスする必要がある。
自分の幸福の為。本当に遠くから愛を送る為。
「でも」とエゴは言います。
デトックスを拒みあくまで闘おうとする。
ほとんど動物的に、生存を賭けて。
「許す事は負ける事」と思い込んでる自分がいる。
モラル的に、自らを相手より上位に置こうとしている自分がいる。
上位であることを言い合いで証明し、それでやっと救われると思ってる自分がいる。
twitterで『論より愛』とつぶやくと、「おいおいお前がかい!?」とセルフで突っ込みを入れています。
自分の中に寒々とした風景がある。
エゴは(幼い頃より)実際に傷ついているので、少し時間なりプロセスが要る部分だと思います。
「でも」とやりだすエネルギーを「それではイケナイ」と抑圧にかかっても、
全〜然効果がないから。
追いこまれたネズミが猫に飛びかかる如く、むしろ先鋭化する。
実際に傷つき攻撃的になってるエゴを先ずそのまま認めるところから、私は始めました。
「今まで放っといてご免ね」「大変だったね」「折れずによく頑張ってきたね」と声を掛け、抱きしめもします。
内側の作業として。
結果、親以外の他人相手含む『正論de罵倒シュミレーションの嵐』は、ほとんど吹かなくなりました。
2〜3年かかったかな。
私の例は極端かと思いますが、世の皆様にシェアする価値を感じます。
『「わからず屋・エゴ」の断末魔ってある』というたったそれだけの事を。
時に狂暴になる自分がいる‥と思ってらっしゃる方がいたら、長年本当に天文学的に頑張ったエゴ君に声をかけハグし、癒してあげられてください。
成仏しない/デトックスされないといったことはないですヨ。
エゴも、痛み混乱しているだけで元は愛のエネルギーだから。本当はこの世界全体を愛したがっているから♥
嵐が吹き荒れ「どうしよう、このままでは死んじゃう」といった状況になった時、「そこまでして握りしめているほどの事か」と奇跡的に悟れたりもするから♡
刑の執行直前、稀に悟りを開く死刑囚がおられるそうですね。
そのミニミニ版です。
エゴの断末魔に触れることも大事なメニュー。
人生に仕組まれたスピリチュアルレッスン。
今ではそう考えています。
親よ有難う♪ってね。
【関連】
おかしいよばわりをされると、思考と感情が破壊されますね。
好きなものを取り上げられた怒りはそうそう解けない。
好きではないことを強制された圧迫感も残り続ける。
勿論、ビンタの衝撃も。 (全文)