2015.01.18 Sunday
【人生の魔法】-1053 許した存在からは傷つけられない
夏の暑さ、秋の落葉、冬の木枯らし、春の花びら。
「許せない」と思えば、その怒りの炎で自らが傷つく。季節がめぐってくるたびに。
あの人のあのファッション、言葉遣い、表情、許せない。
あの国の振舞いは許せない。
教義に反した行いは許せない。
TVの中のあの人は・・・
何だか無限にあります。
人類は面倒臭い事をしていますね。営々と。
実際に痛いのは、傷ついているのは本人。破壊の爪あとは自分持ち。
と、どこで気づくでしょうか?
私も経験があるのですが、それは限界が訪れてから。
心を晴らし精神的な生存空間を広げるためエネルギーを使ってきたのに、逆に狭痛いところへもぐりこんでしまいボロボロ。
「ああ、これは違うんだな」と思う。最後は静かに。
武装解除という感じでしょうか。
許す事が正しいから心を入れ換えて・・ではありません。
定め〜この世における経験メニューとしてやりきってしまう。
すると、諸行無常の法則がはたらき終わる日が来る。
「怒る事はよくない」と抑圧するより、うんと“抜け”は早い気がします。
「よくない」は自分への「許せない」ですしね。
定めを消化しきったあと、フラットな世界が訪れます。
許す・許さないが生まれる前の、宇宙のような、森のような、ただ在る世界。
ここの住人となったらもう傷つくことはありません。
許すというより、認めるかな。創造の力が生みだしたものを。我を含めて。
言葉に直すと「そっか」です。とてもSimple。
許せないという幻を見ていた時代、膨大な言葉を使っていたのとは正反対。真逆。
本来、人は傷つきようのない存在なのでしょう。自他をあるがまま認めてゆくだけ。七色の虹のようにただ寄り添うだけ。
その本質を知るため、逆の世界を垣間見ました。
「許せない!」と。
そして自傷の痛さで目が覚める。フラットな世界の存在に。
「怒る事はよくない」と自らをジャッジするのではなく、許した存在・「そっか」と認めた存在からは傷つけられないというシンプルな法則に着目されてください。
定めが演出したしばしの夢は終わり、自分が救われます。
傷つきようのない存在に戻ります。
そして、これは大きなオマケなのですが、自分が自由な存在であることを思い出します。
七色の虹の一員として気兼ねなくわがカラーを放てばOKなのだと。
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【人生の魔法】-952 あるがままを許す愛 (2014/10/09)
大きく見て私達は、お互いの/森羅万象のあるがままを許す愛へ進化の途上にあります。
「こんな事いいわけないだろう」が【よかよか】に切り替わる際には、大きな痛みあり。
不思議ですねぇ。・・・続き
※明日は
【人生の魔法】-1054 依存と離脱
をお届けします。